今昔物語1

伝統ある涸沢小屋の歴史についてお話します

 

岩小屋時代から涸沢小屋建設へ (涸沢小屋創世記)

 

涸沢の岩小屋は崩壊して現存していないが、

多くの文献でその存在は良く知られています。

その後も狩猟の為、ほったて小屋程度はあったそうです。

 

昭和初期、上高地山案内人組合が涸沢小屋の建設に乗り出しました。

当時、上高地山案内人組合の中心的存在であった、村上守氏(前涸沢小屋社長、奥原広次の叔父で西穂山荘前社長)によると、横尾谷・本谷橋を渡った屏風岩下部から材木を切り出し、組合員の背によって涸沢に運び込まれた。

この用材を翌年秋まで乾燥させて、木挽きに取りかかった。この間、並行するように北穂南稜基部、現在の涸沢小屋が建つ場所で整地作業が始まった。

 

ここで何故、この広い涸沢カールの中で小屋の建設場所が、北穂南稜基部なったかというと・・・・

 

考えてみてください。

 

第一に、みなさんなら家を建てるときどうしますか?まず安全である事ですよね。

つまり涸沢の安全といえば、雪崩が来ない事ということです。涸沢小屋は背に高さ約50メートルの岩壁があり、雪崩の通る道は、アズキ沢と北穂沢に分かれます。

もし雪崩がきても、その岩が守ってくれる天然のフェンスがあるわけです。

 

第二に、地盤がしっかりしている事。どんなに立派な建物を建てても、

土台がしっかりしていないとダメです。

その点涸沢小屋は、岩盤の上に建っていますので、非常に安定しています。

1998年の上高地群発地震の時、登山道や山小屋の被害が相次ぐも、涸沢小屋は全くといっていいほど、被害がありませんでした。

 

第三に、南向きであるということです。その点、涸沢小屋は南向き。谷間の小屋でここまで日照時間が長いのも、当小屋だけでしょう。南向きは、積雪が少なく雪解けも早いという事です。しかも秋の寒い日でもぽかぽか。日向ぼっこができます。

 

第四に、ライフラインです。その点は涸沢小屋はすぐ横に水場があります。

 

つまり、北穂南稜基部が絶好の立地条件だったわけです。

山案内人達が建てただけあって、自然の理に適っていたんですね。

 

 

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